ログ建築記 発起編


まずはいちばんに、自己紹介です。

ロッジ山、あるじ
松井 強

 S35.11月生まれ
伊吹山1合目(今は無き)松井旅館を
営んでいた家に誕生。
新宿調理師学校卒。
本当になりたかったのは
マタギ(たぶん)
猛禽を眺めるのも好き。
と、紹介しながら写真はイカ釣り。
近影がコレしかなく、、

ロッジバカおかみ
松井 信子

S38.10月生まれ
東京、新宿区出身。
お部屋を整えたり
お客さんをお迎えしたり・・
そんなことが大好きみたいです。
web担当しています
お電話に出るのも私。

あるじの実家である山小屋を
手伝いながら
いつか自分たちで宿をつくりたい 
という想いは温めていました。
たまーにヒマがあると スキーで
滑り降りてきて立ち止まる
雲の上にいるような眺めの 
この場所で。



ひょっとしてログハウスならば
 お金がなくても大工さんじゃなくても
横向きに積んでいくだけで
家ができるのでは?と
パラパラと眺めた、たった一冊の本
「1994年 夢の丸太小屋に暮らす」



84年に結婚した私たち
ちょうど10年目 3人の子どもたちは、
9歳、7歳、4歳 でした。


 「ログハウスって たっかいねーー」

「こんなん建ててもろたら億や億!ま、無理や」

ちらりちらりとページの端に
モノクロで宣伝してる
TAROインターナショナルが目に留まる

「あー ここのログ安い!」

「セルフビルド・・・って
自分でつくるんやんけー!
安いにきまったるわい」

「あんた なんでもできるやん 
やろうや」

「んんん・・・・・・・
ま、人間のすることや 
できんことないやろーけど・・・」

「ほんなら、でんわするしなー」 


・・・と冗談のような この程度の話し合いでTAROに相談。

電話ではやりとりしにくいため
社長の高柳さんが東京からじきじきに訪ねてくることに。

高柳さんは簡単に言った。
「だいじょうぶ できるよ!ぜったい」

そうか できるのだ

この話し合いのとき3人が飲んでいたのはお茶ではなく焼酎。
ここでイッキに冗談が現実になる
・・・

っていうか
ただ、あとにひけなくなったのだ
気持ちはもう走りだしていたのだ
バカボンのパパが憑依していたのか


どうせわしらの人生
行き当たりばったり。
やったろうやないか!

賢婦人(わたし)は思案した・・・
30分くらい。

「2千万くらいで(当然借金)
ふとんやらなんやら
ぜーんぶそろえるんだからー
・・・1千万もあったらいいよね、
とーちゃん」
「おー」

ということでログ3棟ぶんの予算は
1千万に決定~

おもしろおかしく書いてるだけだと
思っていませんか?
これはほんとうにあった
コワイ話です。

奇妙なバランス感覚を持つ 
どんぶり勘定の妻と
それをどうにかフォローせざるを
得ない原始人のような夫

嗚呼 無知ってすごい

とんとん拍子に図面はできあがり 
希望に胸ふくらんで 
気分はもう ほれ、
雑誌で見たログビルダー 
ひえーかっこええー

建築確認?ああ そういう手続きが
いるんですね ハイハイ

そんなことも知らなかったわたしは 
それからおよそ半年もの間
町役場、土木事務所、保健所、
消防署と
書類の山を抱えてあちらでゴツン、
こちらでゴツン、、

許可がおりないんじゃー
できるわけない・・・

もお~やめよっかあ~と何度もくじけ
さまざまな壁にぶちあたりながら
旅館の許可をもらうまでの大変さを
おもいっきり味わったのでございます

今 思い返せば 
順序がめちゃくちゃでした。

励ましてくれた役場の谷口さん。
要石さん。伊夫貴さん。

よく相談にのってくれた
ペンションいぶきの寛さん。

設計士に頼むということすら知らず、いきなり訪ねた土木事務所の
近持さん。

1級建築士でもある謎の消防士
ファイア~さん。

ファイア~さんに紹介された
ばっかりに
生コン打ちまで手伝わされた、匠工房の島田さん。

結局、建築確認を苦労してとって
下さった世一さん。

その節はほんとうに
お世話になりましたっ!
感謝のしるしに記録させて
いただきました。

ログ建築記 解体編

わたしたちがロッジを建てたいと
思ったここ、伊吹山は
国定公園のため新たな建造物は
許可されないとのこと

でも、既存する建物のやり直しということならばOKだということで
廃墟同然の山小屋を購入。

さあ!建てるぞ!の前に
その山小屋をつぶさねば
なりませんでした。

かなり大きいよねー
見ればみるほど・・・

いきなり途方にくれる。

いくらお金がないっつったって
2人で解体しょうって
むちゃくちゃではないか?


あるじの御言葉

「ここに千個の石がある。
1日1個となりの空き地に
運んでみー
千日後には必ず終わるがな。」

含蓄のある御言葉にしびれた。

が、今見たら そのまんまや。笑


95年5月13日
解体作業はじまりの日

大ハンマーで壁にいっぱつ くらわすとモルタルがぼろぼろ崩れ
その穴にバールを差し込んでこじる。

パックをはがすように
壁が落ちる・・・おもろいっ!

手ごわいところはほっといて 大ハンマーを振り回し移動していると
あるじの罵声。

「ここまでとか決めて、
最後まできちんとせえや!
 おめーの後始末ばっか
せなあかんやろがっ!」

だってー おもろいんだもん・・・
ごめんなー

おもろいうちはよかったんやけどなー

これがログビルダー?

「めたくそに混ぜてまうと、
あとがたいへんや。
まず燃えるもんは燃やそ。」

はじめはちいさな火でしたが・・・

↑一升瓶見えますか?

火を見つめながら飲む酒の
うまさよ・・・

この後、ふとん!たたみ!?
あしどりも軽やかに次々と
投げ入れた・・・
(現在なら許されないでしょう!)

調子にのりすぎてなかなか火が消えず
車に用意してあった
(とか言って去年海にいったときから積みっぱなし)テントに
こどもたちを寝かせ、
わしらは寝ずの火の番・・・

と酒盛り・・・

さわやかな朝ご飯・・・爆発?しそうなストーブで湯を沸かし、
飯盒で飯を炊く。

お見せできないのが残念だが
子どもらの鼻のまわりはススで
まっくろだった。

どこでも生きてゆけるだろう・・
きみたちは・・・

燃えるものと燃えないものを
こつこつと分けながら
ここまで片付いた・・・

ちょっとうんざり

このままゴジラみたいに
暴れたろか・・・

と思いながらにっこり。

5月28日

うお~っ!きもちいい~!
コレ倒したかったんやて~!

ここだけユンボを乗っ取り
壁を倒す。爽快。


ここから先は来る日も来る日も、
ガレキの片付けと
スクラップ工場へ鉄骨などを
運んでいました。


あるじが仕事のかえりに砕石や土を
ダンプに積んでは山に上がり
毎日、4トン車に一杯ずつ
コツコツと。

6月中旬には
きれいに整地ができあがり

6月22日にログ部材を発注。


7月21日、地鎮祭

ふ~っ!なんとかここまで
漕ぎつけたぞ~

次回は笑いをこらえて屁をこいてしまったという地鎮祭のようすから
おそろしく手間のかかった基礎工事の回想をぼちぼちと。

ログ建築記 基礎編

やれやれ やっと本来のスタートラインに立ちました。

7月21日 地鎮祭

神式がポピュラーかと思ったのですが
近所のご縁で2合目にある松尾寺の
和尚さんにお願いしました。

ぽくぽくぽくぽく・・・和尚のこぶしの効いた読経が熱っぽくなるにつれ
激しくたたかれバウンドする
木魚・・・あー落ちるーー そのとき

んはあ~っ!!

天までとどろくような和尚の一声に
一同息を呑む

あーびっくらこいた

その隙に木魚を所定の位置へサッと戻すのを 私は見た・・・ぷっ!

あかん・・・笑うたら バチ当たる

ここまでの道のりや、これからを想い厳粛な気持ちで迎えたこの日
なんとか気を持ち直しました。

和尚「施主は米をまいて
まわりなさい」
やにわに あるじの父(写真左端)が
米をつかむと

んは~っ!と叫びながら

和尚より派手なアクションで
追いかけてくる

じーちゃん、たのむ、、
やめてくれーー!!

(ちなみに この父ってどんなひと??とてもひとことでは表せないが
たとえば、こどもが「じーちゃん
社会の窓があいてるで」といったら
腰をくねらせながら
「閉めて~ん!」
というようなひと。笑)

和尚はしら~ん顔。

あとで聞いたが2人は
仲の良い飲み友達だそうだ。

常に笑いがつきまとう・・・

こんなんでええんかい?

変わった地鎮祭であった。

ともあれ 無事終了。

作業中の安全を祈る!



~ こんなこともあった ~

地鎮祭から1ヶ月半、あるじの目下の本業(水道管工事)が忙しく中断
そのあいだにもう少し
土を運びあげる指令が私に!

「4トンで2回くらい上がれば
ええぞ」

「簡単に言うけどダンプなんて
わからんよう・・・土だって取りに
いったことないのに」

「どーもない ヤマアカ(土の種類)
くださいっていったらちゃーんと
ダンプに積んでくれるんやで
おまえは こっちや言われるとこまで
ダンプでいったらええだけや
あけるときはこのレバーをこうする
ほれ、なーんも難しいことあらへん」

心の中で思いました・・・なんか・・やだな・・・

でもヤケクソで行きました。

土を積んでからはブレーキがききにくくて怖かったけど なんとか山に着いてほっ。

正面から現場に突っ込んで止まり
土をあけようとしてふと気付く

「ここであけたらバックで帰れんわ、、私ってかしこい!」

ひとりつぶやきながら方向転換、
そのとき

ずぶぶぶ・・・
ダンプが45度ほど傾いてしまった

右側前輪後輪とも、雨あがりの
ぬかるみに・・・おおー神よ

ナナメになって考えた。

落ち着くんだ・・
荷台には4トンの土。
おろしたほうがいいだろう・・うん・・

ぎゅいい~ん

ありゃ~::余計なふんばりを与えてしまったんだろうか

ダンプ更にめりこむ

すでに運転席からは出られそうもない

一刻も早くここから
立ち去りたい・・・


助手席から飛び降りた私は、
横転しそうなダンプに手を合わせると一目散に逃げました。

えらいこっちゃと念仏を唱えるように登山道を下りていくと
「こんにちはー」すれちがう重装備の登山者が皆ふりかえる。

顔面蒼白、Tシャツ、半ズボン、
裸足につっかけサンダルでは
当然か。

こんなことになるなんて
思わなかったんだああ


95年9月4日 帳張り

今日が かかりの日と思うと
ワクワクする。

レベルを出し、糸を張って、
地面にスプレーで
間取りを写していく。

ままごとしてるみたいやったな・・・



9月6日
掘りかたはじめ。
あるじ得意の穴掘りです。

「こんなもん
1日で掘れてしまうがな」

お~い!バカ~!

あいよ~!

このすてきな奥さんをバカ
呼ぶなんて!と思ったでしょう?

うふふっ

私が持ってるのをバカ棒
いうんだそうな。

おおよその穴の深さを
確かめながらの作業、
バカ棒を立てろ〜 の略。

「なんじゃこりゃあ!!岩だらけじゃ 
おーい その石どかせーーばかっ!」

あいよー!
今のバカは なに?

結局、基礎の穴を掘って
こんなたくさんの大きな岩が
出てきたのでした・・・
げげげ

あるじが1日で終わるといった
穴掘りは
延べ20日もかかって
しまったのです。

しんきくさいことのキライなあるじは
「ダイナマイトでぶっとばしたろか!」とブチキレていましたねー

その後も 稲刈り、こどもらの運動会、雨降りなど 作業はしばしば中断。

基礎づくりは着々と?
遅れていきました。

⭐︎

10月13日、14日 

フィンランドから
材の詰まったコンテナが到着。

40フィート2本にぎっしり!!

基礎が出来上がっている
予定だったが。
無情にもコンテナは
来てしまった・・・

ありがたくも善き友人たち
2日間にわたる手作業の!
荷下ろしの助っ人にきてくれた。

朝6時から!!

男女10人、フル回転の
活躍をしてくれました。

この友人たちがいなければ
どうなっていたでしょう・・


皆が帰った日暮れどき、
山と積まれたログ材を眺めて 私は

どえらいことを
思いついてしまったもんだ・・・


と、恐怖におののいたのでした。



10月21日

あせりながらも、ちまちまとした
作業を重ね(基礎はレベルが命
ですもんね!あの確認作業には
気が遠くなりそうでした)

フーチンのコンクリートをうつために はじめて生コン車を呼びました。

ここで、生コンの扱いに慣れている 
あるじの兄貴登場!頼もしい✨

きょうは左官屋さんごっこだー

私の前にいるのは消防署にお勤めの「だいちゃん」

私が嫁にきたころはハナをたれた
小学2年生だったのにねえ・・・

頼れる青年になってました~!

「鉄筋の結束は おまえひとりでも充分できるでな」

そういって例のごとく任された私を
よく助けてくれた伊藤さん↑

私がコンビニのお弁当や
インスタント食品ばかり
食べているのを心配して
手づくりの食べものを
度々持ってきてくれました。

カーブばかりの道中、
私の運転するトラックの助手席で
こぼれぬように
捧げ持っていた両手鍋。

泣き笑いの味がした
あのトン汁
決して忘れないでしょう😭



11月2日

雨の日は100枚買ったコンパネに
桟木を打ちつけ ひたすら型枠を
つくりました。

あるじには鼻歌の釘打ちも 私にとって難行苦行。釘が曲がったり
突き抜けてたり・・・

棘がささってぎょえー!
ハンマーで手を打ってぎゃあー!

私が叫ぶと目の端で
実に嬉しそうに笑うあるじ

いやなやろーだ・・・


急いでいるのに仕事が休めず
はかどらない為、
先ほど出演の伊藤さんのお舅さん
まで引っ張り出して
3日間で型枠を立てた。

その後 伊藤さんと私、かよわい女2人でテンバ釘を打ちに通った。

⭐︎

近年、暖冬つづきだったので
甘くみていたら・・・


この年はなんたることか
11月に入ったばかりというのに
吹雪、大荒れ。

太っ腹の私も さすがに落ち込みました。このまま冬眠しましょうか、、

「ログが雪の下でカビカビの
ぼろぼろ」おんなじ夢ばっかり
見ては跳ね起き
わけもなく泣けてきて
頭はハゲそうだったとき

「今年、雪が早そうだから材料山にあげちゃおうよー!手伝うよ!」

威勢のいい声を掛けてくれたのは、
うちのとなりで牧場をしている
三家さん

11月13日から22日まで
4トンのユニック車でピストン運搬

長くて手に負えない材と棟木は
男に任せたが

1棟分のログ材を女2人で
運びあげたのだった。


おとうちゃんがしごとに
いっている間に。



11月25日

雪まじりのさむ~い日でしたが
生コンを打ちました。

遅れまくっていた基礎工事も
やっとひといき。

この日も 手伝おうか~
いろんな人がカッパを着て
山に来てくれたのでした😭

11月28日 型枠をはずし
一丁あがり~!!



回想・・・

こんなふうに書き起こし
ぐちゃぐちゃの過去を整理して
感慨にふける

なんとたくさんの人に支えてもらって ここまでやってきたんだろう

これ以上 言葉ではいえない

⭐︎

そしていよいよ建築編へ~

ログ建築記 建築編

基礎はできた、材料も揃ってる
・・・が雪が降る!!

12月はじめの空を見ながら
唸りました。

「このまま春までおいておく
べきか?」

「それなら、ログは山に運ばずに
麓の材置場できっちり養生しとけば
よかった・・・」

後悔先にたたず・・・

あせっていた私達は
現場で、すでに記号、番号順にログを配ってしまっていたのです。
展開図のように。むきだしで。

いろいろと悩んだ末、ホンモノの
ログ・ビルダーを派遣して
もらうことにしました。

屋根掛けまでお願いできれば、
後は何が降ろうが内装工事ができる!

現場を見てもらい
1ヶ月で組めるということで契約。

無理を押してスタート

12月3日 1段目を積んだ日は
こんな雪が・・・
右端はあるじ

この日から家で一緒に暮らすことに
なったカナダ人「スコット」
ナニワ人「伸也」

20代前半とあって馬力があったが、さすがに雪の日は泣いていたな

スコットは英語しか話せなかったが、ジっと目をみつめて真剣に日本語で
話しかけるうちに
日本語を理解するようになった
カシコイ青年だ。

念力は岩をも通す。
よしよし・・・

私はなにをしていたかといえば、
ご覧のとおりのダボ打ち

たまに、電気穴にダボを打ってしまいドリルで直してもらったり・・・
ごめんなさい!!

3ヶ国語くらいはわかるんやけど
フィンランド語
読めんかってん・・・
(ぜんぶウソ)

それから次に組むログの掘り出し?

なんでこんなに
雪がつもるんじゃあ~!

スキー場だけにふりゃ~ええんや!
ばかやろー!ってここもスキー場だ

あまりにも吹雪く日はみんなで
こたつにもぐりこみ

「やめとこっか~!」とビールを
飲んでうたた寝をしたり・・・

彼らは若くてチャーミングだったし、それはそれで楽しかった。

淡いロマンスを密かに期待していた私に向かって、スコットはニコニコ
しながらババアと。

オラ~!誰が教えた!?

伸也は うちの子どもたちにつられてかあちゃんだって。

んなヒゲ面の子は知らん!

寒さでハナをたらしながらの
連日の作業。

⭐︎

芽生えたのは男同志の友情のような
ものであった・・・無念。

12メートルもある長いログは、
反ったりひねくれてたり
たまに加工ミスもあったり・・・

半日かけて組んだ段を半日かけて
はずす!な~んて日もありました。


12月17日15段目
ここまでで断念!


スコットはクリスマス休暇で
カナダへ、伸也くんは婚約者のもとへ帰っていきました。

年内に組み上がるはずだったがプロの手を借りてもできなかった・・・

なんだか慌てて無駄なことばかり
している気がする。

おとうちゃんとわたしは気休めに
2段、3段と 大晦日まで2人でログを組み続けました。


ログで囲まれてしまうと厄介だからということで、早々と設置してしまったユニット・バス
これがどうなったと思いますか??

ブルーシートとコンパネできっちりと養生したにもかかわらず
容赦なく降り続く雪の中、
気になって見に行くと

がび~~ん!
天井が落ちていた・・・

ぴっかぴかで覗くと嬉しかった
風呂場は、照明器具も壊れ、
タイルも割れて見るも無残なお姿に。
・・・・・・・・・

ここで完全に降参。
雪さん参りましたっ!

⭐︎

お正月はゆっくり休み、
気を紛らわすために
スノーボードなんぞを買い揃え
頭はボコボコ、
あざだらけになりながらも
心ゆくまで雪で遊んでやった・・・

近年めずらしく雪の多かったこの年、林道の雪が消え
ログ組みが再開できたのは
96年3月25日でした。

スコット、伸也と再会。
約1ヶ月間、再び共同生活。



共に現場で汗を流し、屋根の下地が
できあがったところで
かたい握手をしてお別れしました。

スコット、伸ちゃん、寒い中
本当にご苦労さま!
楽しい思い出をありがとう!



5月~6月

2人に戻ってさっそく取りかかったのは、外壁の塗装

半年も雨ざらしだったので、
一刻も早く保護したかった。

組んである足場は
屋根葺きを頼んだ板金屋さん用。

ヘンなところでケチったもので塗装用に足場は頼まなかった。

ユニックにライオンの檻のような
かごをぶらさげて身を乗り出して塗る

小屋根に裸足を吸盤のように
はりつけて塗る

つまさきでバランスをとりながら
のけぞって塗る

わたしら曲芸師か?

あげくに私なんか小屋根から
滑り落ちた。塗料缶もろとも。
恐怖体験。



6月~7月

次には窓とドア-を取り付け、
断熱材を入れ天井を貼り、
を貼っていった。

再び兄貴が助っ人に

この頃は梅雨どきだったが
濡れることもなく
作業は快適にはかどる。

夕方、きりのいいところで
本日の仕事を眺めながらビールで

「お疲れさ~ん」

「楽しいやんけ~!このビールが
うまいっ!たまらんな~」


相好を崩す兄貴。

あにき~ あにきの日当、
そのビールだけなんやて・・・

いやほんまに。

2階の部屋の間仕切り壁をつくる。

ログを組んだようにみえる内装用の
板材を貼り、打ちつけてゆく。

だんだん部屋らしくなってきました。

写真はないが、床の下では兄貴が電気の配線工事をしてくれている。

便器を取り付ける、ある日のあるじ。

このあと、縁の下にもぐって
配管工事も。

私は床にサンダーをかける。
このころの私の呼び名は

「サンダーババー」

この作業はもう仕上げに近い・・・
目が三角になってくる・・・

まつ毛も鼻毛も粉だらけ
黙々とサンダーをかけて磨く毎日、

あるじはコンセントや
スイッチ穴を掘ったり
細部のボロ隠しに忙しい
その姿は蜘蛛男のよう。

こまごまとした作業も終わりつつあり
床の塗装に入る。

このときの私の呼び名は
「塗装部隊」
って ひとりなんスけど(笑)

お絵描きは好きだから ま、
なんとかなるやろ
⭐︎

塗料屋をしている友人のアドバイスを受け、体育館用の塗料を使う事に。

塗ってはサンダーをかけ
拭きあげることを3回繰り返し、
床は永久にワックスのいらない
仕上がりでぴっかぴかに!!
⭐︎

投げ出さずにがんばった
でっかいプラモデル

96年8月

なんとか 出来ちゃったようだ!


ばんざ~いというところだ

あとコテージ2棟も
あるんやった・・・

(それが拍子抜けするほど
ラクに建てられたので
奮闘アホ話はこれでネタ切れ)

最後にあるじのひとことを。

「おまえばっか苦労してるみたいに
書いたるけどなー
わしも寝られんかったんやでなっ」

ふーん 男はつらいね・・・

わかってましたがな、おとうちゃん。

みんなが楽しい
ロッジになるといいな。

まぁ ボチボチやっていこっ!